投資信託に不信感を抱いているから
投資信託をいくつか保有していますが、正直言って、投資信託に不信感を抱いています。
投資信託に不信感を抱く3つの理由
1: 運用者の顔が見えないこと
一部の投資信託は、積極的に運用者の顔を出しているものもありますが、極めて少数です。
どのような人が運用しているかわからず、同じような投資信託が出ていると、結局、運用会社(野村とか、ヨコモジ系(外資系)とか)の名前で選んだり、名前で選ぶにしても、外資系の名前がついていると何となくパフォーマンスが良さそうだなっという印象をもって、選んだりしてしまいます。。
手数料・経費率が高く、費用の負担感を感じる中で、顔が見えないだけに、少しのモヤモヤ・マイナスの心象が徐々に大きくなって、不信感につながっているのかなと思います。個人投資家が負担している投資信託の手数料の一部が、顔が見えない運用者の給与に充てられていると考えるだけで、保有する気が失せます。
2: 愛称がついていること
覚えやすさということかと思いますが、愛称が愛着に変わると、売りたいときに心理的な抵抗が出てしまうと思います。また、愛称だけを覚えると、肝心な投資信託の中身に無頓着になってしまうのではないかと危惧してしまいます。愛称は、多分に販売側の都合によるものであると思います。
3: 投資は自己責任という言い訳
プロのファンドマネジャーに運用を任せているはずなのに、ダウンサイドのリスクを個人投資家に負わせ、ファンドマネージャーは勝っても負けても給与を毎月得ている。不公平な気がします。プロならば、腹を括って結果責任も負ってほしいです。サラリーマンファンドマネジャーで自分のファンドに投資している人がいたら、全金融資産の何割を投資しているか教えてほしいです。
土佐日記風に言うと、「ファンドマネジャーもすなる運用といふものを、個人投資家もしてみむとてするなり」(男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり)という感じでしょうか。個人投資家にできることをファンドマネジャーに任せていいのか?と素朴な疑問が浮かびます。
結局、自分自身が納得行くか否かという判断軸で、運用者の顔が見える「ひふみプラス」(レオスキャピタルワークス)であったり、ETFでインデックス運用であったりします。枕を高くして寝られる水準となると、日々のノイズを(ある程度)気にしなくていい、ひふみへの投資や、複数のETFによるポートフォリオ運用に落ち着きますが、退屈なので、ETFメインで、個別株を少々といった方針が理想的です。でも、なかなか理想に近づけません。だって人間だもの。
今夜も枕を高くして寝たいと思います。